2010年 09月 29日
いまだに..... |

(K-on, Anime Weekend Atlanta, Georgia)
(Canon 7D, EF-S 17-55mm F2.8)
今回は少々まともな話。配偶者は一切登場しない。いつものように私が配偶者にコテンパンにやられている話を期待されている方には、失礼。
臓器移植と言うのは、関連領域が医学だけに留まらない。倫理、法学、宗教、文化や伝統など様々な要素が複雑にかかわる問題である。
関係者が増えれば増えるほど意見の一致を見るのが難しいのは世の常であり、臓器移植もその例外ではない。臓器移植が定着しているアメリカでも、論議が尽くされ社会全体のコンセンサスが出来上がっているというわけでは決してない。
さて本日の新聞を見ると、1997年の臓器移植法施行以来100例目の脳死が確定し、99例目の臓器移植が行われたそうである。
ちなみにアメリカを観てみることにする。2010年9月29日つまり本日の午後の時点で108,725人が移植を待っている。今年1月から6月までの半年間におけるドナーは7,136人、そして同期間に行われた臓器移植は14,141例であった。
こう書いていて、昔のことを思い出した。私が研修医をしていた病院では、その病院だけで心臓移植を年間100例以上行っていた。
数の比較が私の論点ではない。誤解なきよう。
私が疑問に思うことは、日本でいまだに新聞を始め各種ニュースに登場する脳死とそれに伴う臓器移植の報道が、一体本当に必要なのか、ということである。
実名が出るわけではないにせよ、「XX県の○○代の女性」が脳死で「あの臓器はXX病院で、この臓器は○○病院で…….移植された」などと言う報道に一体どういう意味があるというのか、と訝しく思う。
身内の死亡を悲しむ遺族のためにも、今まで病気に苦しみ移植後も苦労しなくてはならない患者諸氏のためにも、この様なことは実名が出ないにせよ、報道しないという良識が必要なのではないか、というのが私の意見なのだ。そして脳死ないし臓器移植が報道の対象ではなくなれば、臓器移植自体の賛否はともかくとして、臓器の提供も増えるのではないか、と思うのだ。
報道は臓器移植を広く知ってもらい、移植医療を推進するための啓蒙の一環である、という意見もあるかも知れない。しかし、私は賛同しない。臓器移植の啓蒙は、この種の報道とは別な形で行われるべきである。
しかし事はそれほど単純ではない。ドナーならびに患者の立場以外に、病院には病院の事情が存在する。移植を行う病院としては、その意図のあるなしにかかわらず、病院の名前が報道されれば経費をかけずに簡単に宣伝をすることができる。私の勝手な想像であるが、記者会見などでは医師の功名心も介入する余地が多少なりとも存在するかも知れない。
脳死ならびに臓器移植がその都度新聞の話題に上ると言うのは、やはり日本の特殊な事情によるものに違いない。アメリカでは、脳死や移植が報道などで話題に上ることは、芸能人などを除いてはありえないことなのである。
日本の新聞やテレビから脳死や移植のニュースが消滅し、人々がその様なことを話題にもしなくなる日が一日も早く来ると良い、と思っている。
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by goodsurgeon24hrs
| 2010-09-29 14:33
| 仕事
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