2008年 03月 26日
坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い |
(雷電 錦絵 相撲絵 雷電花頂山立会図)
3月25日の夕刊フジの記事をネットで見ていたら、またしても朝青龍のことが話題になっていた。脚本家の内館牧子という人がどういう人なのか私は不勉強で知らないが、この人が「朝青龍の大阪弁やガッツポーズは横綱としてけしからん」と言っているという。
私は相撲ファンでも朝青龍ファンでもない。はっきり言って、隣の猫が今晩何を食べているのかといった話題と同じくらいに、私にとって相撲も朝青龍もどうでも良いことである。しかし、公の場でこのようなくだらない事象を針小棒大に取り上げ、しかも批判のネタにするというのはさすがにどうかと思う。相撲という瀕死の国技を盛り上げるための役者が出てきたと思えば、相撲の振興を願う内館氏としてははむしろ感謝すべきではないのか。いくら国技と声高に叫んでみたところで、観てもらってナンボの興行である。
どうやら彼女は事あるごとに「国技がどうの、文化がどうの」と言っているようだ。しかし彼女のような狭小な視野でしか論じられない人たちで運営しているからこそ相撲は廃れると思うのだ。本当に相撲の振興を図りたいのなら、恋人同士が「今日は君を楽しませてあげようと思って、相撲に行くことに決めたよ」、「わあ、うれしい。私、相撲が大好き!」などという会話をするようになるくらいのことを目標に努力しなくてはならないのではないか。底辺を広げるためにコミック誌には相撲漫画「ファットマン」を連載し、テレビでは相撲トレンディードラマ「金曜日の力士達」を放映し、映画館ではホイチョイプロダクション制作の新作映画「私を土俵に連れてって」をロードショーすればよい。要するに努力が足りないか、努力が空回りしているかのどちらかだと思うのだ。
関西弁がダメだの、ガッツポーズがダメだのと言うのは、坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い、の感がある。朝青龍が嫌いなら内館氏は「理由は自分でもよく分かりませんが、朝青龍は本能的に嫌いなんです」、と正直に彼女個人の好き嫌いの問題として発言すれば良い。イチャモンを付けて公の場で識者然と批判するのは大人気ない。仕舞いには、「朝青龍が優勝トロフィーを持ち上げたときの、脇の下のシワが横綱としての品格にそぐわない」などと言い出すのではないか。
by goodsurgeon24hrs
| 2008-03-26 08:37
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