後悔 |
私が齢を重ねるにつれて、当然の様に私よりも上の世代の者たちは1人そしてまた1人と極楽浄土へと旅立ってゆく。それはあたかも、トコロテンが時間の経過に任せてプルルンと押し出されて行く様な感じでもある。
子どもの頃ないしは若い頃には思いつきもしなかったが、私が今この歳になって大いに後悔していることがある。それは、私よりも上の世代の人たちの話をもっと聞いておくべきだった、と言うことだ。
子どもの頃、若い頃には、年寄りの話など聞きたくも無いものと相場が決まっている。年寄りが自発的にする話というのは、大方の場合話の種類が限られているので、いつも同じ様な話しか聞けなかったからだ。「おじいちゃん、その話はもう100万回聞いたよ」。
ではなぜ、私は今後悔しているのか。
それは今の私には、子どもの頃や若かった頃とは違い会話の技術が身についているからだ。
歴史や過去の社会的状況を以前よりも多くを理解する様になった現在では、彼らから私が聞きたい話をピンポイントで引き出せる自信がある。壊れた蓄音機の様に、彼らに同じ話を何回もさせることは許さない。
私が聞きたいと思う状況や、その時に当人や周囲のものはどういう思いであったのか、など聞いてみたいことがたくさんある。社会的に重要な事に関してだけではなく、家族に関する重要な出来事、面白いエピソードなども、私に伝わる事なくトコロテンとともにプルルンと流れていってしまったことがたくさんあるに違いない。「そもそも我が家の家系を遡ると、アブラハムの234代目の子孫が長い旅の末に日本にたどり着き、当時有名だったとある神社の前で一軒のおにぎり屋を始めた事に端を発している」とか。
しかし、それもすでに遅きに逸した。大変に悔しい思いがする。
<読了>
「保守の遺言」 西部邁
心の中で、あぁまたこの話が始まったな…なんて思いながらも、嬉しそうに話す顔を見ると、さも初めて聞いたかのようなフリをして頷いていました。
本当に。今になって、もっと詳しくあの話を聞いておけば良かった なんて考える事があります。
アブラハムの234代目の子孫が長い旅の末に日本にたどり着き…って、もうこれだけでかなり面白いのですが!!
誰か詳しくご存知ないのですか?知りたい!(笑)
後悔しないような生き方ができる人間は本当にいるのでしょうか。何か少しでも、○○しておけばよかったと誰もが想いそうですが。もしかしたら人間というのは後悔する生き物かもしれませんね。後悔して振り返ることで少しずつ進化してきたのかも......なーんて。
タイトル見て、ええ~どうしはったん?!と一瞬心配しましたョ。
う~~ん、来し方を振り返ると、私も人の話聞いてるようで
全く聞けてなかったというか、聞く耳持たずの不届き者でした。
そして私も「繰り言」やっちゃってるようです^^;
うちの男ども、私が「あのサ」と言っただけで「それ聴いた」
シャッターガラガラって感じで頭に来ます。酷いでしょ?プンプン。
どうやらデッカイ「耳タコ」こさえさせてるんでしょうね。
彼らに今のsurgeonさんの様な会話のスキルがないのが惜しまれます。
あ・でも仮りにあったところで、高邁な役だつ話なんて出てこないですけどね^^;
わ!阿刀田さんのご本、私も持ってます。
mineさんの祖父様、とても素敵な方だったのでしょうね。そして、同じ話を聞いても初めて聞いた様に聞き続けるmineさんの優しさも、素敵ですね。なんか映画や小説の1シーンみたいで、いいですね。
アブラハムに遡り着くどころか、私は両親がどういう経緯で結婚したのかも知りません。2人ともすでに鬼籍に入っているので、今更聞くこともできません。残念なことをしました。
私は後悔をしない日は無いと断言できるほど、毎日失敗ばかりを繰り返しています。全く、情けないったらありゃしない。
おっしゃる様に、人間は後悔をすることで進歩するのでしょうね。そうとなると、私は毎日進歩しっぱなし、ということになります。あはは。
おっと、失礼いたしました。ご心配をおかけしてしまいましたか。
昔は、聞くことを逃したというより、まるで興味がなかったり、あるいは積極的に聞くのを避けていた様な面もありました。いまになって、そういう昔の話を聞く対象の人たちがいなくなってから、聞いとけば面白い話もあったんだろうな、なんて思っています。
「あのサ」と言っただけで「それ聴いた」という反応が可笑しいですね。家族団欒の風景が目に見えるようです。
おっ、これお読みになりましたか。私も楽しく読ませていただきました。
その話 100万回聞いたよって 言ってました。同じ言葉です。
自分が同じくらいの近くなって 同じセリフ 言われるのももうすぐ。。
若い時は時間があるから、、自分の時間 先が見えてきたら、、
人の言うことも 行動も ありがたく聞かないとですねー。
わかっていても、、、 つい ねっ
大人を意識しなくなったのは、中学時代で早熟、その頃から非論理的なことを言われるといつも反抗していました
人と話をするのはもちろん大好きですが、成人になってからこちらがいつも質問側に廻り聞いた人は10人にも満たないのでは・・・
若い時というのはやはり、自分の目の前に広がる広大で希望に溢れる未来の方に目がいって、過去を遡ってみようという気持ちにはなかなかなれませんね。
いまこうして齢を重ねて広大で希望に満ちた未来の規模が縮小した時点で、ようやく過去に遡ってみたいという欲求が生まれてきた様に思います。
自分史、素敵ではありませんか! もうすでに執筆に取り掛かっていらっっしゃるのですね。素晴らしい。
自分史、いいかもしれませんね。私もやってみようかな。私の子供たちはこれからはアメリカで生活を続けていうことは間違いないので、その時に子孫がどうして日本からアメリカにきたのか、というのを残して多くのは面白いかもしれません。特にアメリカ人って、そういう家族のルーツの話って好きなんですよ。
良いアイディアをいただきました。ありがとうございます!
いまから少しづつ始めれば、ズボラで作文嫌いの私でもなんとかなるかもしれません。
そうですよね、私よりも若い人や同級生の訃報 には、とてもやりきれないものがあります。だんだんとそういう訃報も増えてきました。
私も子供の頃からかなり生意気でした。何度世の中の大人というのはこう馬鹿ばかりなんだろう、と思って疑いませんでした。まあ、いまから考えると、馬鹿だったのは実は私だった、という現実もあるのですが、それがひた隠しにしたまま今日にいたっております。
確かに祖父母の話はもっと聞いておきたかったな〜って
今更ながらに思うことがあります。
戦時中の彼らの人生はきっと波乱万丈なはずですしね!
我が家は母方は関西から来ているようで
祖母は岡山にいながら関西弁を話す人でした。
祖父は毎朝運転手が迎えに来ていたと武勇伝を聞いたことが
ありますが私が生まれた頃には隠居さんだったので
それすら定かではありません。
先生のエキゾチックさはアブラハムから来ていたのですね、納得!!笑
私もいまこの歳になって、もっと話を聞いておきたかったなぁ、という人がいっぱいです。それも家族に限らないので、なおさら残念です。グリーンカードを取る前にビザでトラブってしばらく日本に帰っていたことがあるのですが、その時に働いていた病院の往診のピンチヒッターを頼まれたことがありました。往診した方が当時94歳の男性。何もわからないまま下級兵士として226事件に出動させられた、というではありませんか。そういうと自社の話って、聞いておけばよかったな、っと思います。
脂っこいハムを握ったおにぎりだったのでしょうね。あはは。