ズルイ?!?! |
先日読んだ記事。
小学校の算数のテストで「あめを4人に3こずつくばります。あめはぜんぶで何こいりますか」という問題がでた。式と解答を要求している。
答えが12個であることは、私のような者にもわかる。曲者は式だ。この12という答えを出すために 4x3 という式では正解ではないというのだ。正解は 3x4 のみ。
私にはどちらも正しいように見える。しかし日本の厳格な小学校教育は、私のようなC調な者を易々と合格させてくれるほどには甘くない。
我が子たちが受けてきたメリケン教育をみると、問題の解決方法に対する向き合い方が根本的に異なっているような印象を受ける。
これは娘が小学校低学年の時の理科の実験の話だ。児童は2人ひと組のチームを作り、各チームに乾電池一つと豆電球二つが渡される。どのようにしてこれら二つの豆電球を点けるか、と言う実験であった。
私が受けた日本での教育では、実験の前に直列、並列の二つの方法を教科書なり授業なりで教わっておいて、その後に確認のための実験となるのが普通であった。
メリケン教育の娘たちは直列、並列と言った知識を何も持たないままでいきなり実験に入った。そして、最後に自分たちがどのようにして二つの豆電球を点けたかをプレゼンするのだ。直列、並列両方の繋ぎ方を発見したチームもあっただろうし、どちらかの一つしか発見できなかったチームもあっただろう。
各チームの発表が一通り終わったところで、教師が直列と並列を教えるという流れだ。
さてそんな中、どうしても一つの乾電池では豆電球を二つ点けられないチームがあった。そこで彼女らは、とっておきの手に出た。なんと、教師に頼んで乾電池をもう一つもらったのだ。
このチームは時間の終わりに、他のどのチームも思いつかなかった大胆不敵な「必殺乾電池2個法」をプレゼンした。
興味深いのはこの方法、メリケン教育では失格とはならなかった。課題を克服するための方法(変法)の一つ、というわけだ。与えられた課題を完璧には達成できなかったが、達成のための努力は評価に値する、という考えらしい。
このチーム、日本の教育システムでは不正解となることに、私は一切の私財を賭けに供出しても構わない。そもそも頼んだところで、教師は乾電池をもう一つ渡すということをしないであろう。
もっともこれは単に小学校低学年の理科だから成り立つ話なのは私も十分に承知している。しかしそれにしても、 4x3 は不正解で 3x4 でなくてはならないと言う教育のシステムとは、大きな違いがあって、多変に興味深い。
例えば私が会社の開発チームの一員だったとする。どうしても思ったようなものが手持ちの材料だけでは作れない時に、新たに別の材料を調達ないし開発してプロジェクトを続ける、と言うこともあると思うのだ。
完璧な教育システムは存在しない。なぜなら人間が完璧ではないからだ。
しかしそれでも、柔軟な思考と独創性を養い、突飛な発想でもそれを有効に活用できるような活路を見出す能力を与える教育というのが、私の子孫たちに受けて欲しい教育だ。
<読了>
「ポワロ登場」 1巻〜7巻
何かの結果をもたらすためのアプローチの方法を質問者の意図にそぐわないものは不正解にすると、狭い見方しかできないような気がします。同じ結果をもたらすのに、違ったアプローチは必要な手段ですよね。現実的には同じ結果をもたらす異なったアプローチのどれが、一番コストパフォーマンスがいいとか、お金がかからず無駄がないかという大切な問題につながっていきますよね。
それが 3✖️4が正解だなんて、、
アメリカは 自分の 想像 工夫が認められて いいですね。
日本は画一的
昔娘が一年生の時 国語のテストで、、花の色は?
とういう質問で 文章から紫色の花とかくところ
我が娘、、色鉛筆で 紫色の花の絵描きましたえ。
もちろん ❌でしたーー
アメリカなら◎もらったかなー
もちろん 褒めまくりました。
4人に各自に飴3個だったら普通4×3と記述するでしょうね。
3個の飴を4人に配りますでは3×4が自然な表現だと思います。
数学はいかに問題の文章を式で記述できるかにかかっていて、将来代数をやるときに必要な能力かな、文章を読む力って。(だから子供の時本を読むのは大事ですね)
先生の力も落ちてるのかなー・・・杓子定規な答えでは面白くないですよね。
「13個です。配る時に一個を地面に落として、みんなそんなの食べるのいやだといったから」
試験の解答用紙に達磨の絵を書いても、幾ばくかの点をくれたという時代がいいですね。
「3個の飴を4人に配りますでは3×4が自然な表現だと思います。」はおかしいですね。飴3個しかないじゃん。分数の問題かよ・・・て指摘がきそうです。
「一人に3個の飴を4人に・・・」に修正します。
最近こちらでは大学入試の問題ミスが新聞ネタになっていますが、問題作るのも難しそうですね。前もって沢山の方にチェックして頂くのも、漏洩の点で問題かなです。(ちょっと横道ですみませんです)
冒頭の小学生の算数のお話。
少し前に見たTV番組で、林修氏(予備校の現国教師でありながら今はクイズ番組などにタレントとしてもよく出ている人です。)が取り上げて、彼が尊敬するというフィールズ賞受賞者でもある森重文氏(林氏とは高校が同窓)に意見を乞うのですが、森氏もどちらも正解だと思うと答えていました。
ではなぜそんな些細なことにこだわるのか。
「飴」は何個か?という問いなので、飴3×人数4とすべきだということでしょうか?
しかし文脈を読み取れというなら、私も上記ヨシザワ様のご意見に全く同感です。でも算数を習い始めた小学生には、不正解の理由としてあまり意味がないとも思います。もちろん数学の証明問題などは読解力も要求され、私はそれが全くないため、 高校では答えを丸暗記したり、部分点を稼ぐことで何とかやり過ごしていた口ですが^^;
もう思い出すだにオゾマシイ、数ⅡB。
諸手を挙げて goodsurgeon24hrs さまに賛成します。
仰いますように、人間は完璧ではない。だから、面白い。
無駄(ゆとり)があって丁度良いと考えます。
正解は 3x4 のみ。まだ、その意味が分かりません…
突飛な発想でもそれを有効に活用できるような活路を見出す能力
この二つはこれからのサバイバルにとても大切。
杓子定規で規範意識の高すぎる国民性を改めないと、日本の生き残る道はないのでありますね。
息苦しい社会はイヤですねえ。
おおらかだった昔は良かったなんて言ってる私も年をとったんでしょうかね?
おっしゃるように物事には何種類ものアプローチがあるので、その中で一番本人にとって良い者を選べれば良いのですものね。でも、教育の現場でとなると、なかなかそうはいかないのでしょうね。教師というのも、大変な仕事ですね。
私も「え、なんでいけないの?」ってな感じで全然理解できませんでした。
私のように理解できない父兄が教師とやりとりをしたくだりを、別稿としてアップしておきますね。
なんか小学校の算数って、それ以降の高度な数学よりもかえって難しいような感じがします。私自身の経験では、高校の時、数I、数 IIというのは難しくて、数 III というのが一番簡単だった記憶があります。
我々の大学で、学年末の内科の試験の時に出された問題の答え
がわからず、ある学生が延々とカレーの作り方を書いて合格した、というい本当だかどうなのかわからない逸話が流布されていました。おっと、脱線ですね。失礼いたしました。
確かに入試問題のミスが多いようですね。日本、大丈夫かしら?
そうですか、テレビでそんなやりとりがあったのですか。面白いですね。
答えはあっているのに、こんな些細なことで点をもらえたりもらえなかったりの差がついて、それが今後の人生に絵影響するかのせいもあるわけですよね。なんか今の子供達って、かわいそう。そして、こういうことに神経を使って点を稼具ような教育って、果たしてその後社会で有用な人を育てられるのだろうか、と心配にもなります。
そうですよね。完璧じゃないから答えさえあっていれば 4x3 でも 3x4 でも、どっちでもいいジャーン。と私のようなC調人は思ってしまうのです。
ほんと、よくわからないですよね。
おっしゃる通り、日本の教育って杓子定規な人を育ててしまいやすいような印象を受けますね。
これから日本の労働人口がどんどんと減ってゆくのがわかっている中で、どのやって日本が世界の中で生き残って行くかは教育により所も多いと思います。聞くところによろと、すでに日本の技術は世界から遅れ始めている、らしいです。
頑張って欲しいですね。
いまだに私にはよくわからないのですが、主催者側が我々参加者全員に公平に配るだけの飴をきちんと用意してさえしてくれれば、主催者がどうやって数えたかなんて、私知る必要ない、なんて思ってます。いひひ。