2008年 10月 15日
God's plan |
( Canon F-1, FD 50mm F1.4, Velvia 100 )
私の住んでいるアラバマ州は、Deep Southと呼ばれる地域に属する。このあたりはキリスト教がアメリカのどの地域にも増して、強い影響力を誇っている。
彼らがよく口にする言葉に “God’s plan” と言うのがある。「あなたの人生において何が起きるのかは、神が既に計画していたことである」と言うのだ。
例えばあなたが、どこかの誰かと信じられないような大恋愛に陥ったとする。God’s planと言うことを信用するならば、その恋愛は運や偶然で起きたのではない。あなたがこの世に生を得るずっと以前に、神の作った青写真のなかに織り込み済みだったのだ。
残念なことに、人生楽しいことや明るいことばかりではない。あなたのこれぞと思う人への恋はいつも成就するとは限らない。彼らに言わせると、それもGod’s plan の内である。神はあなた達を結ぶようには計画しなかったのだ。あなたにとっては、成就することの無かった恋は神の計画によってもたらされた試練であるので享受しなくてはならない、と言うことになる。
そこで私に沸いた疑問は、「もしすべてがGod’s plan で決まっているのなら、なぜ人は努力をする必要があるのか?」ということである。God’s plan で絶世の美女と恋に落ちることや、事業で大成功することが既に決まっているならば、私なら初めから何もしないでその時期が来るまでひたすら待つ。
疑問は訊くのが一番。私は教会で講義をしている知り合いの老人に尋ねてみた。彼曰く、「努力をすることによって、神が用意したいくつかのプランの中から最良のものを手にすることが出来る」。どうやら絶世の美女と恋に陥るためには、人並みならぬ努力が必要なようである。クレオパトラの心を射止めたのがジュリアスシーザーであったのは、理由があったということか。そして、私が事業で大成功するというようなことが未だに起きていないのは、やはりそれなりの理由があったのだ。
ごく平均的な日本人である私は、寺でも神社でも御利益のありそうなところでは、とりあえずお賽銭を上げて拝んでおく。そして挙句にはクリスマスはクリスマスで、宗教とは別に楽しませていただいている。
キリスト教徒ではない私であるが、それでも思い返すと人生のところどころで「これはひょっとして、God’s plan なのではないか」と思えるようなことに遭遇してきたことは、認めなくてはならない。そしてこれからも、そうとしか思えないようなことが起こるのかもしれない。
南部での生活も長くなり、彼らが物事をどのように解釈するのかが少しずつ分かってきた。社寺仏閣で祈る私であるが、彼らの言うこともなかなかに興味深い。
by goodsurgeon24hrs
| 2008-10-15 16:57
| 日常
|
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Comments(2)
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ninja2005y at 2008-10-16 21:24
クリスチャンのお話ですね。
日本人には、理解し難いかも判りませんよ。
簡単に申し上げましょう。
クリスチャンとは?
処女マリアがイエスを生んだこと
主イエスが十字架で処刑され、その預言通り3日目に復活したことを
信じておられる方々ですので
God’s plan は絶対ですね。
>>彼らの言うこともなかなかに興味深い。
ご注意ください。
彼らは”一神教”であり、
わたしらのような一般的な日本人は”多神教”であります。
つまり、わたしらは、キリスト教の神であれ
天照大神でも、釈迦であっても同じように神として崇めますが
クリスチャンにとっての神は、キリスト教の神1人だけなんです。
つまり、宗教はみな同じ・・・・ではないということです。
日本人には、理解し難いかも判りませんよ。
簡単に申し上げましょう。
クリスチャンとは?
処女マリアがイエスを生んだこと
主イエスが十字架で処刑され、その預言通り3日目に復活したことを
信じておられる方々ですので
God’s plan は絶対ですね。
>>彼らの言うこともなかなかに興味深い。
ご注意ください。
彼らは”一神教”であり、
わたしらのような一般的な日本人は”多神教”であります。
つまり、わたしらは、キリスト教の神であれ
天照大神でも、釈迦であっても同じように神として崇めますが
クリスチャンにとっての神は、キリスト教の神1人だけなんです。
つまり、宗教はみな同じ・・・・ではないということです。
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goodsurgeon24hrs at 2008-10-17 07:44
宗教については論議にキリをみつけることは不可能ですね。
私の考えではキリスト教やその他の一神教では神は規律であり、我々や古代ローマ、ギリシャの宗教(多神教)では神に守護を求める、と思うのです。ですからおっしゃるとおり一神教と多神教ではおおきな隔たりがあります。
信じるの信じないのは別にして、違う意見、信条を聞くのも、宗教人類学的に面白いと思って聞いています。
私はというと、「ご都合多神教」ですかね。おまけにクリスマスには病院も休みになるので、キリストも八百万神の中にはいってるのかな? :-)
私の考えではキリスト教やその他の一神教では神は規律であり、我々や古代ローマ、ギリシャの宗教(多神教)では神に守護を求める、と思うのです。ですからおっしゃるとおり一神教と多神教ではおおきな隔たりがあります。
信じるの信じないのは別にして、違う意見、信条を聞くのも、宗教人類学的に面白いと思って聞いています。
私はというと、「ご都合多神教」ですかね。おまけにクリスマスには病院も休みになるので、キリストも八百万神の中にはいってるのかな? :-)