2008年 08月 06日
天災は忘れたころにやって来る |
( Klasse W, Velvia 100 )
災いはいつ何時起こるかわからない。したがって日ごろから準備をしておかなくてはならない、というのはよく言われることだ。
しかしこれは私に言わせると、そもそも論理に矛盾がある。何時起こるかわからない、つまり予測しえないのが災いだと言うのは良い。しかしその後がいただけない。予測しえないことに対しては準備は出来ない。もしも準備が本当に役立ったなら、それは正確に言うと準備というあてずっぽうがたまたま運よく功を奏したということに過ぎない。傾向と対策などといった大学受験のようには行かないのが、災いというものなのだ。
ほんの2-3日前のことである。夜間に暴風を伴った激しい雷雨が私のいる地域を襲った。幸い停電や洪水にはならなかった。しかし我が家は若干の被害を蒙った。
敷地内に無数にある大きな木のうちの一本が前庭で倒れた。風に耐え切れなかったのだろう、地上5メートルくらいのところでバッサリと折れてしまったのだ。倒れた部分の長さが、配偶者に言わせると約10メートル、私の目測では約15メートルくらいある。同じ物を見ていても、人によって5メートルも感覚に違いがあるというのは大変に興味深い。木は既に地上に倒れているのであるから巻尺でも取り出して科学的に検証することも可能だ。しかし家族間につまらぬ争いやその後のしこりをのこさないためにも、ここで巻尺を取り出すのは愚の骨頂である。ここでは何のためらいもなく配偶者の意見を取り入れて、10メートルと言うの公式発表とすることにする。これこそが、長年かけて培った既婚男性の英知と言うものである。
この倒れた木が、ドライブウエイから玄関に続く通路を塞いでしまった。我々は普段は家の側面に位置するガレージから家の中へ出入りしているので、家へのアクセスには何の問題もない。しかし来客やアメリカ版XXねこ宅配便のおじさんなどが来ると大変困ることになる。
しかし不幸中の幸い、家自体には何の被害も無かった。あと10センチ木が長ければ、あるいはあと10センチ幹に近いところから折れていたら、あるいはあと10センチ木が家の近くに生えていたら、あるいは風がもっと強くて折れた木が10センチ家のほうに吹き飛ばされていたら、あるいは........、などとわずか10センチに関してあれやこれやと余計な可能性を考えていると恐ろしくなる。保険で家修理が出来るから一部分でも家が新しくなって良い、などと悠長なことは言っていられない。こういうことに関しては、アメリカは概して仕事の手際と質がよろしくないのだ。
毎月一回来る庭師に頼んで、木を片付けてもらった。おじさんは焦げ付くようなアラバマの炎天下で手際よく木をチェーンソーで適当な大きさに切り、暖炉用の薪を作ってくれた。
こうしてようやく、来客が来てもアメリカ版xxねこ宅配便のおじさんが来ても大丈夫になった。
しかしどう考えてみても、こればかりは準備の仕様が無いと思うことには代わりが無い。と言う訳で、我が家の些細な事件はこれにて一件落着となったのであった。もちろん今後このようなことが起こったときのために何か準備をしておくようなことは、当然する気もない。
by goodsurgeon24hrs
| 2008-08-06 12:06
| 日常
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