2008年 07月 19日
コマーシャル |
( Klasse W, Velvia 100 )
資本主義下での商業活動は、言うまでもなく競争である。消費者というパイは一定で限りがあるので、同業者間では当然パイの取り合いとなる。少しでも多くパイを獲得するために、コマーシャルが存在する。アメリカで驚くことは数限りがないのだが、テレビで放映されるテレビ局のコマーシャルもその一つだ。
日本ではテレビ局のコマーシャルと言えば、自局のコマーシャルと決まっている。日テレでは日テレの番組のコマーシャル、TBSではTBSの番組のコマーシャルが流される。日本に住んでいたときは、このことに何の不思議も抱かなかった。
しかしここは驚きの国、アメリカ。テレビのコマーシャルに他局の番組のコマーシャルが流れるのだ。わかりやすくするために、たとえ話をする。たとえば仮に、テレビ東京で「開運!何でも鑑定団」を見ているとする。出品者が国宝級だと思っていたものが、実は少しも”いい仕事”がなされてなくて骨董の値段は実はタダ同然。飼い主が騙されたとわかり、皆で大笑いしたところでコマーシャルに入る。そこに突然「きっかけはーフジテレビ」と来るのだからこれは驚く。
しかし考えてみれば、これは大変理にかなった商業行為だ。A局でB局のコマーシャルを流せば、B局はライバルであるA局の視聴者を呼び込める可能性が高くなる。A局にしても、ライバルであるB局から広告収入が得られる。パイである視聴者はというと、面白い番組を選ぶだけである。つまり各局は番組作りに力を注ぐことになる。
日本ではなぜこういうことが起こらないのかは、私などの知る由もない。禁止されているのか、それとも各局間で紳士協定があるのか。それとも単に、慣習なのか。比較広告が制度上では可能となっているのだが一向に広く行われることがない、という心理状況にも通じるものなのかもしれない。
by goodsurgeon24hrs
| 2008-07-19 10:06
| 日常
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