私はどこ? |
己の身体の部品が身体のどの部分に位置するのかを認知する能力を身体認知と言う。
例えば身体の中心軸に上から順に目を向けてみよう。顔の真ん中には鼻があり、その下には口があり、胴の真ん中には臍があり、足と足の間の胴体下方の真ん中にはナニがあり、と言うように身体の一部を認識して正確に指し示すことのできる能力のことだ。
当たり前の能力のように聞こえるが、これには脳の発達を要する。生まれてまだ日の浅い赤ん坊では指をくわえようとしてもなかなか指がお目当の口に入らずに頬をさまよっていたりする。あるいは脳梗塞の様な何らかの後天性脳障害でこの機能が失われることもある。
さて、我々は何か心が痛むようなことがあった場合、あるいは激しい感動を覚えた場合、どのような動作をするのであろうか。大方の人は開いた掌を胸の中ほどに当てるのではないだろうか。
しかしこれは身体認知と言う観点からはどうも納得がいかない。心は胸にあるのではなく、脳の機能の一つとして存在しているはずだ。したがって、正しくは片手でにせよ両手でにせよ、頭を指し示さなくてはならないのではないか。
確かに、心が痛む場合には両肘をついて手で頭を包み込むような動作をする事はある。しかし感動した際にこの動作はまず持ってありえない。
もしも私が身体認知の表示を正確にするために、何かとびきりのプレゼントをもらって感動した時に頭を抱えたりしようものなら、誰も私に金輪際プレゼントをしようなどと思わなくなってしまう事請け合いだ。ここはやはり、医学を無視して胸に手を当てるべきだ。
話はここから、水切り遊びのようにピンピンと水面を二回滑って飛躍する。
第一の飛躍。
日本語ではでは心(ココロ)は心臓のシン。英語では心はheart、心臓もheart。
私は心臓に切った張ったの手を加える事を生業にしている。愚息がまだ年端のいかない子供だった頃、幼稚園だか学校でだか私の職業を聞かれた愚息は「お父さんはココロのお医者さん」と答えたそうだ。英語と日本語の複数言語で育っている最中の彼は、発達途上でかなり日本語と英語が脳内で錯綜していたらしい。なんとも可愛らしい。ココロのお医者さんでは、まるで精神科だ。後から聞いた私は、愚息のいないところで大笑い。私は精神科が務まるほど繊細ではない。
第二の飛躍。
自分自身、つまり「私」を示す時に、一体我々はどのようにしているか。
日本では「私」と言いながら、自分の鼻を指差すヒトが大半ではなかろうか。実際に鼻の頭に指が触れなくても、指先はしっかりと鼻先を指して「私」を表現している。
私が居住経験のあるイギリスとアメリカでは「私」は、鼻ではなく前胸部の上部、つまり胸の上の方に掌をあてがって表現する。
大昔、イギリスであったかアメリカであったか忘れたが、この動作を我が愛する配偶者がやったところ、なぜ日本人は鼻を指すのか、と不思議がられたと言う。
このような日常の細かい動作も、比較文化人類学的にはとても興味深い。
話がピンピンと水面を滑っているうちにいつのまにか着地点を失った。今回はここでおしまい。
<読了>
「キャパへの追走」 沢木耕太郎
文化とか風習の違いとはいえ、国によって違うのは面白くもあり、時にはボディーランゲージで違う意味になってしまう危険性もあり、その辺に無頓着な日本人は気をつけなくてはいけないですね。最近の若者は本当に何も考えず簡単に中指をおっ立てます。アメリカだったら、殺されてしまうかも ^^;
ボディーランゲージは気をつけないといけない例がいろんなところに書かれていますね。やってはいけないこと、意味が我々の使い方と違うことなど、いろいろな例があるようですね。
そうそう、日本でやってる写真を時々見ますが、あれはかなりお下品。そのほかには、Tシャツにとんでもないことが英語で書いてあったり。おっと、これも脱線ですね。
自分をさすとき 鼻をさすのは それが一番出っ張っているからかな。
あと 顔に真ん中にあるからねー。
国によって表現が違うのは面白いですね。
日本にしかいないので鎖国状態です。
また いろんな違い教えてくださいねー
ですよねー、日本人としてはやっぱり鼻を指しますよね。一番出っ張ってるからかもしれないし、鼻が使用人みたいに高くないから強調して指すのか(あはは)よくわかりませんが。
きっと世界の中には鼻、胸以外を指して私を表現する国があるかもしれませんね。調べて見たくなっちゃいました。
でもよく聞くと心臓を治すお仕事ですから間違ってはいませんよね。
国によって色々と違うんだなぁって思いました。
また1つ勉強になりました有難うございます。
その流れかどうか分かりませんが先日テレビで外国の人はお蕎麦をすする事がマナーが悪いって事から日本人のお蕎麦の食べ方が問題になっているそうですw
罰金制度を設けるとかにまでなっているとか(苦汗)
お蕎麦は、小僧の頃からすすって食べていた事が今更違う食べ方をしろと言われても困りますよね。
その国その国の習慣に慣れて貰うしかないかと思うのですが今ちょっとした問題になっているそうですよ。
ココロとカタカナで書くと私が真っ先に思い出すのは赤塚不二夫の漫画に出てくるココロのボス。ちょっと古すぎましたね。
それって、ヌーハラとか言うやつでしょ。あれはすするのが食べ方であって、自分たちの習慣を押し付けようとする典型的な西洋人ならではの傲慢さですね。西洋に行って、お前ら食器は茶碗のように口のところまで運んで食べろ、と我々が言ったらなんと思うでしょうかね。その国ごとの文化、マナーがあって当然。情けないのは日本のマスコミと一部の似非文化人。ヌーハラなどと言って大声で取り上げて自国民を未開人のような扱いで取り上げる程度の低さ!
ただ面白いのは、彼ら、すすって食べることができないんですよね。いやだからしないのではなくて、やろうとしてもうまくできないのですよ。