2012年 10月 27日
女の尻を追うのが好きなお父さん |
WHERE : 東京都台東区浅草
CAMERA : M9-P, Biogon T 35mm F2.0
桑名正博が鬼籍に入った。
私自身は彼のファンでも何でもなかったが、「彼は私の青春だったワ!」という(桑名正博全盛当時の)乙女達も多いに違いない。
59歳というのは比較的若い死ではあるが、一時的にであるにせよ(現在のではなく)当時のアン・ルイスを妻に持ち、法律を破ってまでも通常の市民が手を出さないようなことも経験したので、本人としては悔いのない人生であったのではないか。
ニュースで見る限り、今年の7月から意識の出ない状態であった、と言う。つまり3ヶ月以上、覚醒することなく臥床していたことになる。
以下に書くことは善悪を論ずることを目的とするのではなく、日米の状況の違いについての話を、まるで右手に缶ビールを持ち左手で鼻くそをほじりながら立ち話をするような心持で記しておこうと言う魂胆である。それ以上でも以下でもない。
周知のごとく、わが国日本では尊厳死が法的に認められていない。
したがって一旦始めてしまった治療や延命処置は、(公には)途中で止めるわけには行かない。また一般的な家族の心情としても「最後まで出来ることはすべてやりたい」、「最後まで奇蹟を信じて」などと言うことが重要な位置を占める場合が多いように見受けられる。さらには回復の見込みが無いと内心では思っていても、そのような己の「合理的で残酷」な内心を自己肯定してしまうこと自体に罪悪感を抱いたりするのではないだろうか。はたまた、「親戚に何と言われるかわかったものじゃないから、出来ることは全部やっておく」と言うような多少邪な感情が混じる場合もあるかもしれない。
誤解無きよう記しておくが、このようなことは精神に趣をおく日本文化の「優しさ」に依拠していると推測し、それはそれで誇るべき精神文化であると思う。
さて、太平洋を越えてアメリカ。アメリカでは意識の無いまま3ヶ月もの長きに渡る延命長というのは、ほとんど有り得ないと言って良い。
アメリカでは、有意義な回復を遂げられる可能性がゼロないしゼロに近いと判った時点で、医師は家族に決断を依頼する。その決断とは、このまま延命治療を続けるかどうか、である。換言すれば、尊厳死の決断だ。
精神よりも合理性に重点を置くアメリカ文化では、思考回路が日本とはだいぶ異なる。
まず回復の可能性がゼロとなれば、ほぼ全例で延命治療は中止となる。
難しいのは「有意義な」回復が見込めないが、たとえば所謂植物人間となって生きてゆくことが可能な場合だ。
このような場合の典型的アメリカ人の思考は、「果たしてそのような状況を、一体お父さんは望んでいるだろうか」という方向に向かう。
「釣りを退職後の一番の生きがいとしていたお父さんだったが、回復したところで植物人間となり釣りを楽しむことが出来ないのであれば、神の元に召されたほうが幸せではないか」、「女癖が悪いお父さんであったが、元気になってまた別の女の尻を追っかけることが出来ないのであれば、生きる意味が無いであろう」と言うようなことを、判断の材料とする。
そして実際に論議されることは決して無いのであるが、心理の背後には「可能性がゼロないしゼロに近いことには出費を控える」と言う資本主義の総本山にふさわしい思考回路が、家族、病院、そして行政すべてに存在していることも否めない。
アメリカでの状況が日本と異なると言うことを、各国民の精神文化や合理性だけに依拠するものとするのは早計だ。アメリカ人がそのような判断を出来る基礎には、尊厳死が法的に認められている、という非常に重要な要件がある。
くどいようであるが、もう一度言っておく。本稿は善悪を論ずることを目的とするのではない。気楽な比較文化論だ。現に私は今、右手に缶ビールを持ち左手で鼻くそをほじりながら、これを書いている。しかもこの右手が、時折ビールからワインに変わったりもするのだから、こいつは一層始末が悪い。
それならば一体どのようにしてキーボードを打っているのか、などという無粋な突っ込みは、一切入れないで頂きたい。
さて、この鼻くそ、どうしよう? ピンと指で、四次元空間に向かって弾き飛ばしましょうか。
by goodsurgeon24hrs
| 2012-10-27 18:47
| 日常
|
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Comments(14)
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みく
at 2012-10-28 11:31
x
父が長く意識が亡くなり、主治医から回復は見込めないと言われ、そのまま逝きました。
回復されないと聞かされ、その通りだとしても私達家族からすれば、父はそこにいるのであり、触れることが出来ました。
問いかけに返事は無くとも、笑い声は無くとも、父は確実に存在しました。
存在しているという事実が大切なことはあると思うのです。
読んでいて、何故か切なく泣けてしまいました。
回復されないと聞かされ、その通りだとしても私達家族からすれば、父はそこにいるのであり、触れることが出来ました。
問いかけに返事は無くとも、笑い声は無くとも、父は確実に存在しました。
存在しているという事実が大切なことはあると思うのです。
読んでいて、何故か切なく泣けてしまいました。
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hirosi906 at 2012-10-28 21:36
尊厳死・・・・・・。
難しい問題ですね。
日本とアメリカどっちがほんとに正しいのかは中々言えないですね。
丁度今「終の信託」という映画が公開されてますが、まだ見てない
んですが監督が周防さんだけに見て見たいと思ってますが。
日本も尊厳死の法律って必要かも知れませんね。
難しい問題ですね。
日本とアメリカどっちがほんとに正しいのかは中々言えないですね。
丁度今「終の信託」という映画が公開されてますが、まだ見てない
んですが監督が周防さんだけに見て見たいと思ってますが。
日本も尊厳死の法律って必要かも知れませんね。
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surgeon24hrs
at 2012-10-29 00:22
x
みくさん、おはようございます。お久しぶりです。
我が家では、数年前に私の母が脳梗塞で一月に意識不明になり5月の下旬に他界しました。4ヶ月半、寝たきりで意思の疎通も不可能な状態でした。
話は脱線しますが、この意識の無い寝たきりの状態で入院している間にも、彼女の介護保険の支払い義務が続いていました。あの制度は、まだ改善の余地がありそうだな、と感じました。
終末医療は、とても難しい問題ですね。私個人的には、本人の元気だったときの意思や、家族の意思に沿うことが出来るように、選択できる方法を多く確保しておくのが良いのではないか、と思います。
悲しい思いをさせてしまいましたか。ごめんなさい。
我が家では、数年前に私の母が脳梗塞で一月に意識不明になり5月の下旬に他界しました。4ヶ月半、寝たきりで意思の疎通も不可能な状態でした。
話は脱線しますが、この意識の無い寝たきりの状態で入院している間にも、彼女の介護保険の支払い義務が続いていました。あの制度は、まだ改善の余地がありそうだな、と感じました。
終末医療は、とても難しい問題ですね。私個人的には、本人の元気だったときの意思や、家族の意思に沿うことが出来るように、選択できる方法を多く確保しておくのが良いのではないか、と思います。
悲しい思いをさせてしまいましたか。ごめんなさい。
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surgeon24hrs
at 2012-10-29 00:34
x
hirosiさん、おはようございます。
本当にこれは難しい問題ですね。私としては、本文に書いたとおり、どちらが良いのかと言うことを論じるのは無意味だと思ってます。↑のレスにも書きましたが、本人の元気だったときの意思や、家族の意思に沿うことが出来るように、選択できる方法を多く確保しておくのが良いのではないか、と思います。そのためには、終末医療に関する法制度をきちんと整えておく必要がありますね。
本当にこれは難しい問題ですね。私としては、本文に書いたとおり、どちらが良いのかと言うことを論じるのは無意味だと思ってます。↑のレスにも書きましたが、本人の元気だったときの意思や、家族の意思に沿うことが出来るように、選択できる方法を多く確保しておくのが良いのではないか、と思います。そのためには、終末医療に関する法制度をきちんと整えておく必要がありますね。
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nakamura-2929 at 2012-10-29 06:57
難しい問題ですよね。
実は自分の父親も三年近く植物人間で最後の人生を閉じました。果たしてそれが良かったのかどぉか今になっても分かりません。看病してる際に母親が、少しでも動くと『ほらっお父さんは私達が言っている事分かるのよ』とか看護士さんに髭を剃って貰った際には『ほらっ気持ちよさそうな顔をしているから』とか息子からするとその母親の言葉が辛かった。
医師に聞いてもそれは反応しているだけで
考えるトコに、ダメージを受けている為にそれは有り得ないと…
確かに言っている事は理解していたがもし
今の世の中では、解明出来ていないだけで
実は分かっているのてまはないか言葉を発する表情を顔に出す事が出来ないだけではないかと…その当時は思っていました。
三年近い間植物人間として生きた父は、
もし、考える事が出来て意思を伝える事が出来なかったので有ればそれはきっと辛かったと思います。
尊厳死を認めていれば…父は生まれ変わり早く違う人生を送っているのではなんてね。
その立場になってみないと分からないですよね。
実は自分の父親も三年近く植物人間で最後の人生を閉じました。果たしてそれが良かったのかどぉか今になっても分かりません。看病してる際に母親が、少しでも動くと『ほらっお父さんは私達が言っている事分かるのよ』とか看護士さんに髭を剃って貰った際には『ほらっ気持ちよさそうな顔をしているから』とか息子からするとその母親の言葉が辛かった。
医師に聞いてもそれは反応しているだけで
考えるトコに、ダメージを受けている為にそれは有り得ないと…
確かに言っている事は理解していたがもし
今の世の中では、解明出来ていないだけで
実は分かっているのてまはないか言葉を発する表情を顔に出す事が出来ないだけではないかと…その当時は思っていました。
三年近い間植物人間として生きた父は、
もし、考える事が出来て意思を伝える事が出来なかったので有ればそれはきっと辛かったと思います。
尊厳死を認めていれば…父は生まれ変わり早く違う人生を送っているのではなんてね。
その立場になってみないと分からないですよね。
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surgeon24hrs
at 2012-10-29 07:54
x
魔王さん、こんばんは。
お父様、3年にわたる植物人間でしたか。そぞかし看病も大変だったことでしょう。単に反射であっても、少しの動きに一喜一憂するご家族の気持ちが痛いようにわかります。
現在の日本では一度始めてしまった治療を中止することが合法的に出来ないので、延命治療が長引いてしまうこともあるようです。大切なのは、自分の死に方、死に場所を自分で選べるようにする、と言うことなのではないかと思います。そうなれば大昔のように、自宅で息を引き取る十言うようなことも可能になると思います。
私自身としては、こりゃダメだとなったら無意味な延命はやらないで欲しいですね。でもおっしゃるように、その立場になってみないと分からないですね。
お父様、3年にわたる植物人間でしたか。そぞかし看病も大変だったことでしょう。単に反射であっても、少しの動きに一喜一憂するご家族の気持ちが痛いようにわかります。
現在の日本では一度始めてしまった治療を中止することが合法的に出来ないので、延命治療が長引いてしまうこともあるようです。大切なのは、自分の死に方、死に場所を自分で選べるようにする、と言うことなのではないかと思います。そうなれば大昔のように、自宅で息を引き取る十言うようなことも可能になると思います。
私自身としては、こりゃダメだとなったら無意味な延命はやらないで欲しいですね。でもおっしゃるように、その立場になってみないと分からないですね。
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N-styel at 2012-10-29 08:16
人の死を受け入れるというのは、それぞれ時間がかかりますよね。
私の母はホントに患うどころか、あっという間に逝ってしまったので、ホントに信じられませんでした。
長く患えばもしかするとまた元気になってくれると希望の光も見出したり、それが叶わないのでは??と一喜一憂するコトにもなりますモノね…。
人は死を前にして何かを語れる程、強い生きモノではないように思います。
意思疎通が図れない状態で、果たしてその状態を続けるコトが是か非かと問われたら、その答えは永遠に出ないようにも思います。
生まれ落ちた瞬間から確実に向かって歩む先は、誰彼となくやはり死…それならば、自身の行く末を決めておくという選択肢もあって良いのかもしれませんね。
ただね、老いて齢重ねた父でさえ、死と向き合うのは怖いようです。
自分の存在がなくなるというのをどう捉えているのか、例え親子でも心の中は解りませんね。
その年齢に到達しなければ解らないコトがまだまだあるように思います。
私の母はホントに患うどころか、あっという間に逝ってしまったので、ホントに信じられませんでした。
長く患えばもしかするとまた元気になってくれると希望の光も見出したり、それが叶わないのでは??と一喜一憂するコトにもなりますモノね…。
人は死を前にして何かを語れる程、強い生きモノではないように思います。
意思疎通が図れない状態で、果たしてその状態を続けるコトが是か非かと問われたら、その答えは永遠に出ないようにも思います。
生まれ落ちた瞬間から確実に向かって歩む先は、誰彼となくやはり死…それならば、自身の行く末を決めておくという選択肢もあって良いのかもしれませんね。
ただね、老いて齢重ねた父でさえ、死と向き合うのは怖いようです。
自分の存在がなくなるというのをどう捉えているのか、例え親子でも心の中は解りませんね。
その年齢に到達しなければ解らないコトがまだまだあるように思います。
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すみれ
at 2012-10-29 22:24
x
強い風の一日でした。
私の父の弟(叔父)が今日、未明にこの世を去りました。
父は、心なしか寂しそうでした。
以前、私もブログで「意見書」のことを書いたことがあります。
法律的にそれが、通用はしないかも?
しかし、残された者は救われるかも?
そう、願って書き記してありますが・・・。
父が朝食をとっていた時「あぁ、めんどくせぇ!」と大声で・・・。
97歳の父の苦しみでしょうか?
「お別れ会」を開いてほしいと頼まれました。
自分の最後を演出するのでしょうかねぇ?
介護保険制度。
最近、ないほうがいいのでは?なんて思う事もあります。
あれは、貧乏人は早く〇〇制度のような?
私の父の弟(叔父)が今日、未明にこの世を去りました。
父は、心なしか寂しそうでした。
以前、私もブログで「意見書」のことを書いたことがあります。
法律的にそれが、通用はしないかも?
しかし、残された者は救われるかも?
そう、願って書き記してありますが・・・。
父が朝食をとっていた時「あぁ、めんどくせぇ!」と大声で・・・。
97歳の父の苦しみでしょうか?
「お別れ会」を開いてほしいと頼まれました。
自分の最後を演出するのでしょうかねぇ?
介護保険制度。
最近、ないほうがいいのでは?なんて思う事もあります。
あれは、貧乏人は早く〇〇制度のような?
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surgeon24hrs
at 2012-10-30 05:06
x
Nao☆さん、こんにちは。
シェイクスピアだったかバーナドショウだったか忘れましたが、どちらかが「誕生は不治の病」と書いていました。確かにそのとおり、人に限らずあらゆる生物は生まれて死んでゆくもの。ただ、人間は死をある程度コントロールすることが出来るようになってしまったばかりに、こういう問題も生じてくるわけで、なかなかすべて丸く収まると言う様にはならないようです。
子供のころや20代、30代のころは死など意識することも無く、なんだか自分は死なない感じがしていました。しかし私の周りで、親類、両親、友人などがこの世を去ってゆくのをみてゆくうちに、自分のしも少しずつではありますが現実感を帯びてきます。
一口に死と言っても、若い人が不慮の死を遂げるのと年老いて寿命を全うして死んで行くのとでは大いに違いもあります。もしも私が天寿を全うする幸運に恵まれたなら、それ以上の延命は遠慮したいですね。
ちなみに私は120まで生きようと決めております。 :D
そのように言うと、配偶者は「勝手にどうぞ」と言いました。
シェイクスピアだったかバーナドショウだったか忘れましたが、どちらかが「誕生は不治の病」と書いていました。確かにそのとおり、人に限らずあらゆる生物は生まれて死んでゆくもの。ただ、人間は死をある程度コントロールすることが出来るようになってしまったばかりに、こういう問題も生じてくるわけで、なかなかすべて丸く収まると言う様にはならないようです。
子供のころや20代、30代のころは死など意識することも無く、なんだか自分は死なない感じがしていました。しかし私の周りで、親類、両親、友人などがこの世を去ってゆくのをみてゆくうちに、自分のしも少しずつではありますが現実感を帯びてきます。
一口に死と言っても、若い人が不慮の死を遂げるのと年老いて寿命を全うして死んで行くのとでは大いに違いもあります。もしも私が天寿を全うする幸運に恵まれたなら、それ以上の延命は遠慮したいですね。
ちなみに私は120まで生きようと決めております。 :D
そのように言うと、配偶者は「勝手にどうぞ」と言いました。
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surgeon24hrs
at 2012-10-30 05:14
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すみれさん、こんにちは。ご不幸があったそうで、謹んでお悔やみ申し上げます。ご不幸のあったときにこのような話題が重なったのは、偶然のいたずら。こんなときにまで書き込みをいただいて、大変恐縮しております。
はいはい、意見書の話、覚えております。あのときにもコメントさせていただきましたが、現在の日本の制度化ではそれが最後の意思を告げる唯一で最良の方法ではないかと思います。
お別れ会、確か私の伯父(故人)もお別れ会を何回か(!)やったような記憶があります。会えるうちにみんなと会っておくと言うのも、一案ですね。自分が合えなくなるのではなくて、ほかの人達のほうが先に会えなくなってしまうこともあるだろうし。
どのような方法が良いのかは一人ひとり皆違うと思いますので、大事なことは終末医療に関する選択枝を多く整えておく、ということかと思います。
はいはい、意見書の話、覚えております。あのときにもコメントさせていただきましたが、現在の日本の制度化ではそれが最後の意思を告げる唯一で最良の方法ではないかと思います。
お別れ会、確か私の伯父(故人)もお別れ会を何回か(!)やったような記憶があります。会えるうちにみんなと会っておくと言うのも、一案ですね。自分が合えなくなるのではなくて、ほかの人達のほうが先に会えなくなってしまうこともあるだろうし。
どのような方法が良いのかは一人ひとり皆違うと思いますので、大事なことは終末医療に関する選択枝を多く整えておく、ということかと思います。
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kusobaes at 2012-10-30 18:42
最近我が家でも死について夫婦で話す事が多くなっています。
親父の看病、死を身近に体験したことも少なからず影響があると思います。
ウチのカミさんは無駄に延命はして欲しくないと言い,それを聞いて息子は
意地でも延命すると言っています。
残った者の手を煩わしたくないカミさんと、母親との時間を少しでも長く持ちたい息子。
どっちの気持ちもわかります。
ただ、いつも思う事なのですが日本と外国の尊厳死に対する
違いというのは宗教観の違いではないかと。
日本は八百万の神の国、言い換えればあまり信心がない国民だと思います。
それに対して外国では何かしらの信仰心を持っている人達が多いと思います。
この違いは大きく、背中を押してもらえ易いと思いますし覚悟もつきやすいと思うのです。
「神様の側に行く、決して辛い事や寂しい事ではない」と。
悪い言い方をすれば神様のせいに出来ます。こんなに大きな
後ろ盾はないです。
なかなか決めれませんよね、ムズカシイですから。
ただボクは配偶者がいれば配偶者の意見を一番尊重すればいいのではないかなと思います。
ウチはオカンを見ていて、これは息子といえども入り込めないなと感じました。
matu
親父の看病、死を身近に体験したことも少なからず影響があると思います。
ウチのカミさんは無駄に延命はして欲しくないと言い,それを聞いて息子は
意地でも延命すると言っています。
残った者の手を煩わしたくないカミさんと、母親との時間を少しでも長く持ちたい息子。
どっちの気持ちもわかります。
ただ、いつも思う事なのですが日本と外国の尊厳死に対する
違いというのは宗教観の違いではないかと。
日本は八百万の神の国、言い換えればあまり信心がない国民だと思います。
それに対して外国では何かしらの信仰心を持っている人達が多いと思います。
この違いは大きく、背中を押してもらえ易いと思いますし覚悟もつきやすいと思うのです。
「神様の側に行く、決して辛い事や寂しい事ではない」と。
悪い言い方をすれば神様のせいに出来ます。こんなに大きな
後ろ盾はないです。
なかなか決めれませんよね、ムズカシイですから。
ただボクは配偶者がいれば配偶者の意見を一番尊重すればいいのではないかなと思います。
ウチはオカンを見ていて、これは息子といえども入り込めないなと感じました。
matu
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surgeon24hrs
at 2012-10-31 23:51
x
matuさん、おはようございます。
そうですようね、身近な家族の看病や不幸を経験すると、老いや死に対して考える機会となりますね。
奥様とむしこさんの会話、matu家の愛情あふれる家庭を象徴するようなエピソードだと思いますヨ。 : )
おっしゃるように、宗教観の違いというのはあるでしょうね。確かに背中を押してもらえ易いと思います。
延命とい言葉が結構あいまいに使われている点も、論議を複雑にしている要因かな、と思うこともあります。私個人が思うには、回復の可能性が無い場合は延命、有意義な回復の見込みがリーズナブルな可能性で存在するときは延命ではなくて治療。でも難しいのは、その中間にいる場合ですね。そういう時はやはり、元気なときの本人の意思に任せるのがいいのかな。
そうですようね、身近な家族の看病や不幸を経験すると、老いや死に対して考える機会となりますね。
奥様とむしこさんの会話、matu家の愛情あふれる家庭を象徴するようなエピソードだと思いますヨ。 : )
おっしゃるように、宗教観の違いというのはあるでしょうね。確かに背中を押してもらえ易いと思います。
延命とい言葉が結構あいまいに使われている点も、論議を複雑にしている要因かな、と思うこともあります。私個人が思うには、回復の可能性が無い場合は延命、有意義な回復の見込みがリーズナブルな可能性で存在するときは延命ではなくて治療。でも難しいのは、その中間にいる場合ですね。そういう時はやはり、元気なときの本人の意思に任せるのがいいのかな。
難しい問題ですよね。
私自身は回復しないとわかっていたら延命拒否すると思うし、家族に対してもそうしたいのですけど、それを口にすると批難の嵐に遭うんじゃないかとも思う・・・
そしてそういう私自身も、本当にこれでよかったのか、命の終わりを私が決めてしまっていいのか、と悩むんだろうなーと思うのです。
だから本人の生前の意思が必要なんだと思います。
そうしたら周囲が悩まなくて済むのにと思います。
・・・
でも今生きてるうちの姑に生前の意思なんてことを言うと怒られるだろうな、とも思います(笑)。
私自身は回復しないとわかっていたら延命拒否すると思うし、家族に対してもそうしたいのですけど、それを口にすると批難の嵐に遭うんじゃないかとも思う・・・
そしてそういう私自身も、本当にこれでよかったのか、命の終わりを私が決めてしまっていいのか、と悩むんだろうなーと思うのです。
だから本人の生前の意思が必要なんだと思います。
そうしたら周囲が悩まなくて済むのにと思います。
・・・
でも今生きてるうちの姑に生前の意思なんてことを言うと怒られるだろうな、とも思います(笑)。
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surgeon24hrs
at 2012-11-02 05:07
x
みるきぃさん、こんにちは。
そう、ホント難しい問題ですね。
おっしゃるとおり、本人の意思表示が必要ですね。あとはそういう本人の意思が反映されることが可能になるような法整備が必要でしょうね。私も自分がいよいよ助からないとなれば、延命はいらないと思うのですが、健康な現在だからこういうことを言っているのであって、いざもっと年取ったら違うように思うかもしれませんね。
そう、ホント難しい問題ですね。
おっしゃるとおり、本人の意思表示が必要ですね。あとはそういう本人の意思が反映されることが可能になるような法整備が必要でしょうね。私も自分がいよいよ助からないとなれば、延命はいらないと思うのですが、健康な現在だからこういうことを言っているのであって、いざもっと年取ったら違うように思うかもしれませんね。