2012年 01月 27日

(Canon 30D, Tamron 18-270mm F3.5-6.4)
先週は、チョイト柄に合わない暴挙に出て見ることにした。
我々が住む街に、St. Petersburg Orchestra が来て、一回だけ公演をすると言う。久しぶりにクラッシクコンサートなどと言うものに、尻尾を振りながらヒョコタンヒョコタンと出かけて行った。
この時の私の体調はというと、すこぶる健康。そもそも私は風邪などあまり引くことはない。
ところが人生と言うもの、一体いつ何が起きるかは全く予想がつかない。演奏も終盤に差し掛かった頃に、私は突如として扁桃腺の右下に針の頭ほどの極小さな面積に過ぎないにせよ、何かチリチリとした刺激を感じ始めた。
最初の内は、チョイト咳払いをすれば簡単に失せてゆくような軽微なものであったが、時間と共にこの不快な刺激の面積が徐々に広くなり、さらには度合いも強くなって行く。そして事もあろうに、最終的にはそれが激しい嗽漱発作へと発展した。
こうなると周囲の観客ならびに演奏者にも大変な無礼となってくる。しかし、不幸な話で幕を開けた連続ドラマは回を重ねるにつれてどんどんと不幸の度を増してゆくのと同じように、私の嗽漱発作も我慢の努力に呼応してどんどんとその程度を増してゆく。
いけないいけない、と思いながらもどうすることも出来ず、どんどんと深みにはまって行く様は、まるで昼下がりの不倫の情事のようでもある。
やはり本来出没すべきではないところに出かけて行ったことに対する神の怒りを買ったのに相違いない。あれほどひどかった嗽漱発作も、演奏最後の一音と共にタクトの動きが止まった瞬間、まるで嘘のように治まったではないか。
おそらく、と喉に関しては門外漢の私は想像する。喋るということは、実は喉の潤滑に大変よろしいことなのではないのか、と。黙って音楽を聴いているうちに、いつのまにやら喉がオイル切れの状態となり、呼吸のたびにどこかがギシギシガリガリと音を立てて擦れ出したに違いない。
一生泳ぎ続けないと呼吸が出来ずに死んでしまうサメのように、今まで気付くことは無かったが、私は喋り続けていないと咳が出てしまうように出来ているのではないか。と、その様な次元にまで思考がたどり着いた。
この夜以来私は就寝中でも喉を守るために、休まず喋り続けることを固く決心し、現在たゆまず、毎夜実行中である。
<読了>
「最後の晩餐」 開高 健

<今週の一枚>
" BOP TILL YOU DROP " by Ry Cooder. 1979

SIDE ONE
1. Lttle Sister
2. Go home, girl
3. The very thing That Makes You Rich
4. I Think It's Going To Work Out Fine
SIDE TWO
1. Down In Hollywood
2. Look At Granny Run Run
3. Trouble, You Can't Fool Me
4. Don't You Mess Up A Good Thing
5. I Can't Win

















